散る散る満ちる、満ちる散る

 夏のじりじりと焼けつくような日差しは違っていて、秋の陽はからりとしている。空が高くなってきたなあ、と私は見上げて思った。制服のポケットにスマートフォンを忍ばせ、こっそりと学校の裏門を出る。そこから細い道を通って、三分。私の最近できたお気に入りの場所に目指してゆっくりと歩いた。
 その場所には桜の老木がある。所どころ割れている、ざらりとしたその木の幹、枝は長く、地面につきそうなほど長いものだった。授業をサボタージュし、その桜の下で寝転んで音楽を聴きながら、ぼんやりと過ごす時間が私は好きだ。お昼過ぎの微睡みを誘う時間。こんなに綺麗な秋晴れの日に授業なんて受けてられない。さて、何を聴こう。イヤホンをさし、私は携帯電話をいじる。そして目を上げると、先客がいることに気がついた。しかも意外な人物だ。
「委員長?」
 私は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。私のクラスの委員長が木陰に座っている。しかも煙草を吸いながら。
「ああ、阿部さんか」
「何しているの?」
「見ての通り」
「いやいやいや、そういう意味じゃなくて」
 委員長は何を驚いているのか、わからないという様な不思議そうな顔をし、煙をふうっと吐きだした。私はまだ混乱している。
「まあ、座りなさい」
「ハイ」
 思わず反射的に、乾いた返事をした。命令されたわけではないのだけれども、私は委員長の言葉に無意識に従った。
「この場所を知っているのは、私だけかと思った」
「私も」
 委員長はいつもの人当たりの良い笑みではなく、いたずらっぽく、ふふっと笑った。その笑みは不意打ちで、私はどぎまぎしてしまい、視線を泳がせた。
「委員長はたまに保健室に行くけど、もしかしたらサボっていたの?」
「北方」
「はい?」 「私の名前は委員長じゃなくて、北方小夜子だよ」
「はあ」
 狐につままれる、ということはこういう事を言うのだろうか。私はぽかんと間抜けな顔をしているだろう。それがおかしいのか委員長、もとい北方小夜子は声を出して笑った。
「阿部さんって正直で可愛らしいひとね」
「……なんかそれ褒められている気がしないんですけど」
「褒めているよ。きっとそれが阿部さんの美徳」
 北方はそう言って携帯灰皿を取り出し、煙草を消した。そんな北方は、教室で見る大人びた姿ではなく、無邪気な少年のようだ。
「身体に悪いよ。しかも未成年だし」
「煙を肺にいれてないから大丈夫。未成年ってところは大目にみて。あと三年もすれば二十歳なんだし」
「北方がこんなに素行が悪いなんて知らなかった。まんまと騙されていたよ」
「小夜子でいいよ」
「じゃあ、私も麻美でいい」
 私の言葉はぐらかされてばかりだけれども、小夜子の表情は教室で見るそれより、生き生きとしている。きっとこれが素顔なのだろうな、と思った。しかしあのお堅い委員長が、こんなひとだとは。幻滅する男子も多いのではないのかな。俄かには信じられない小夜子の本性に、私はため息をついた。
「一服できたし、私は教室に戻るわ」
 小夜子は制服についた砂ぼこりを落とし、私の前から颯爽と姿を消した。私は思わず、桜の木の幹を叩いた。なんて嫌なヤツ!

「北方さん、貧血の方は大丈夫?」 「ええ、保健室で休んだら少し楽になったわ。心配してくれてありがとう」
 小夜子の周りには、クラスのなかでも優等生と言われる取り巻きがいる。私は思わず吹き出しそうになった。知っている? 小夜子の制服のポケットには煙草とライターがあるのよ、と言ったらどうなるのだろうか。私が変なやつ扱いされるだけかもしれないけれど。
「麻美ー! またサボったの?」
 大声で友だちが言うと、教室に小さな笑いが起こった。
「あんた、数学の成績はいいからねえ。ところでお願いがあるんだけど」
「なに?」
「リーディングのノート貸して」
「五百円ね」
「ケチだなあ。せめて友だち価格にしてよ」
 私ははいはい、と友だちをいなしながら、小夜子の方に視線を動かした。そうすると小夜子はいつもの委員長の顔をして、くちびるに人差し指をあてた。私は小夜子のことを誰にも言うつもりはない。教室内では私のほうが不良だ。そんな人間が小夜子のことをどうこう言っても誰も信じたりしないだろう。
 小夜子は品行方正、才色兼備を絵に描いたような人物だ。校則破りの私とは全く違う。スカート丈は規則通りに、化粧もせず、長い黒髪は固く三つ編みにしている。背筋を正して教室の椅子に座っているその姿は、さながら深窓の令嬢と言ったところ。男子は小夜子に高嶺の花という憧れを抱き、女子は羨望の眼差しを送る。かと言って小夜子は頭が固いわけではない。勉強ができることを振りかざしたりせずに、どちらかというと明るい。いつも取り巻きに笑顔で対応している。品よく明るい。そんな彼女に好感を抱くのは男子だけではなかった。小夜子の擬態はパーフェクトだ。教師さえも聞き入る流麗な英語の発音。私は姿勢よく立っている小夜子の後ろ姿を見つめる。私は小夜子のことを何が楽しくて女子高生をやっているのかわからない、ロボットみたいな人間だと思っていた。何事にも正しく平等で、そつなくこなす姿に、私は反感があった。しかし桜の木の下で見た小夜子は人間らしさがあり、性格は悪いが、よほど人間味がある。そんな彼女に少なからず好感を持った。

 小夜子は身体が弱いという「設定」がある。よく貧血になり、目眩を起こすという設定。しかし本人は至って健康体だ。少しだけ授業から抜け、一服してまた教室に戻るという器用なことをしている。なぜそんなことができるかというと、保健室に来た証明書となる紙をコピーして大量に持っているからだ。
 そして今日も桜の木の下で寝そべっている私の元に、小夜子は来た。
「頭が良すぎるっていうのも困りものだよ。保健室に行っていないってばれたらどうすんのよ」
「三回に一回は本当に保健室に行っているから、問題ないでしょう」
 そう小夜子は言ってのけて、煙草に火を点けた。私はため息をついた。
「あら、秋だから悩み事でもあるの?」
「違う。心のそこから小夜子に呆れているの」
 小夜子は左の口角だけ器用にあげて、笑ってみせた。そして煙を器用に輪にして吐き出す。
「なんで煙草を吸っているの?」
「ひみつ」
 私は素朴な疑問を投げかけると、小夜子は少しだけ険しい顔をした。
「もう私たちの間に『秘密』にする事なんてないでしょ」
「確かにそうだね」
「まあ、麻美には言ってもいいか。好きなひとがこの銘柄を吸っているから」 「へえ。どんなひとなの?」 「赤い口紅が似合うひと」  私は無粋にも小夜子の言葉を聞き返しそうだった。そしてすぐ気まずくなり、開いたままの口を閉じた。私には知識はほとんどないけれども、細く巻かれたその煙草からはいつも少しだけ甘い香りを漂わせていた。きっと口紅だけじゃなく、赤いネイルも似合うだろう女性を容易に想像できた。私は少しの沈黙を破り、小夜子に言う。
「見た目以外も教えて」
「恥ずかしながらも、私の擬態を初めて見抜いたひと」
「それは納得だわ」
「どういう意味よ」
「だってさ、あんたの偽装は男なんかにはわかりっこないもん。賢くて、察しの良い大人の女性なら、小夜子のことは見抜けるかもなって思った」
「それは暗に私が子どもだって言いたいの?」
「高校生はまだ子どもでしょ」
「確かにね」
 小夜子はシニカルに笑ってみせた。
 私は雲を見つめていると、桜の木から赤い葉が落ちてくる。桜の紅葉は早い。冬になったら、コートなしでは、ここには立っていられないだろう。そしたら小夜子はどこで煙草を吸うのだろうか。私はわからないまま、曖昧に時間は過ぎ、秋は深くなっていく。

 歩を進めるごとに地面はさくさくと音を立てる。いつもの桜の木は落葉し、足元には赤い絨毯のように枯葉だけが残っている。
 小夜子の様子が少しおかしいと気がついたのは、私だけのはずだ。彼女は取り繕うことが何よりも上手かったから、誰にも知られないと高を括っている。私は教室での小夜子の一挙手一投足を見つめてきた。だから私は驚いた。教科書をめくる小夜子の手が震えていたことに。
「北方さん? どうかされたの?」
「ちょっと目眩がして。保健室に行くわ」
 労わりの言葉や付き添いを断って、小夜子はひとりで教室を出た。そして一時間が経っても戻って来ない。私はいつもの木の下へ向かった。
 歩くたびにさくさくと音を立てる枯葉の音は、乾いていて寒々しいものだ。目印の桜が見えると、私はゆっくりと足を進めた。
「小夜子、何があったの?」
 幹にもたれ、煙草を吸っている小夜子は、目線だけ私に向けた。
「別に」
「そういうわけじゃないでしょ」
 小夜子は紫煙を吐くと、彼女は足元から崩れ落ちる。
「いったい、どうしちゃったのよ?」
 私は彼女の腕を掴んだが、小夜子は力なくその場に座り込んだままだった。
「……こん」
「こん?」
「結婚するんだって」  小夜子の想い人である赤い口紅のひとが結婚するのか。私はやっと理解した。私なぜか胸が痛くなる。その痛みは桜の下で生きることを放棄したように、うずくまっている小夜子のせいだと容易に想像できた。
「小夜子」
 彼女からの返事はない。小夜子は立つ気力もなく、声も出さずに泣いている。
「小夜子!」
 無理やり彼女を立たせ、私は彼女を桜の木の幹に押しつけた。
「そんな大声を出さなくても聞こえているわよ。何よ」
「告白しなさい」
 私は目を見つめてそう言った。そして小夜子は泣きはらした目を大きくして、見つめ返してきた。
「無駄だよ」
「そんなの問題じゃない。小夜子の気持ちに区切りをつけてあげて」
 彼女を見つめる目に私はいっそう力を込めた。視線を外して、力なく頷いた小夜子を私は見届けると、お気に入りだった桜の木から離れた。

 この冬は寒く、厳しいものだった。私はあの一件以来、桜の木の下で授業をサボタージュすることはなかった。もちろん寒さも原因としてある。しかし小夜子に対する何かもやもやとした気持ちを、うまく言葉にできなかったから。ときどき、ふと思い出したようにその靄は私の脳裏を掠める。授業中にそんな状態になると、ノートの上にシャープペンシルを走らせることをやめ、私は意味もなく窓の外を見つめた。
 小夜子とはあれ以来、言葉を交わしていない。それが一番よいことのように思える。小夜子に強引に告白しろと言ったこと。そしてそんなことをした気恥ずかしさから私は小夜子に近づかなかった。小夜子は同様に、小夜子も不真面目な生徒の私に迂闊に私には近づこうとはしなかった。それは暗黙の了解だ。

 新学期の始業式、私はその場所に久しぶりに足を踏み入れた。
「もうおじいちゃんなのに、綺麗に咲いているね」
 よしよしと幹を撫ぜた。桜は春を待ち焦がれていたように、狂おしく咲いている。
「ソメイヨシノっておじいちゃんなの?」
 背後から小夜子の声が聞こえたので、私は振り返った。彼女の髪は長い三つ編みではなく、肩で切り揃えられていた。
「佇まいがおじいちゃんっぽかったから。それより委員長が始業式をエスケープしていいの?」
「いまは委員長じゃないし」
「煙草を吸いにきたの?」
「もう煙草は辞めたよ。ここは春になったら来ようと思っていたの。きっと綺麗に咲いているだろうと思って」
 肩をすくめてみせる小夜子は、秋の終わりに私に見せた弱々しい姿ではなかった。
「告白したよ」
「そう」
「見事に玉砕したけれど」
 私と小夜子は桜の花を見つめながらゆっくりと話しをした。小夜子が好きなひとがどんなひとだったか、今年の六月に結婚式があるとか。まるで今日の天気を話すように、穏やかで、眠くなるような口調だった。
「さっそく最近、気になるひとがいるの」
「それは、おめでとう」
 私は少し胸のうちがざわついた。小夜子の恋の話を聞くとイライラするのはなぜだろうか、と私は再び自分に問うたが、また思考に霞がかかる。
「髪に、花びらが付いているよ」
 小夜子の手が私の髪に触れようと伸ばされたと思ったら、私はくちびるに柔らかい感触を覚えた。瞠目すると小夜子の閉じられた目と、長い睫毛が視界に入った。ああ、これがキスというものか、と私は驚いて逆に冷静になっていた。
「絶対あなたを惚れさせてみせるんだからね」
 小夜子はそう言ってほほ笑むと、颯爽とその場から走り去った。私は思わず笑ってしまった。小夜子の恋愛事情でもやもやする必要なんてないんだ。私は安堵で桜の木の幹に身体を預けた。私たちの手には新しい「秘密」が握られていた。大胆なヤツ! そしてなんて愛おしいヤツ! と私は心の中で叫んでみた。

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