ハッピー・ドライヴ

 車の助手席から見えるのは青々とした緑と初夏のように照りつける日差し。街を歩く人たちは幸せそうで、でも車のなかは氷点下のようにカチカチに固まっている。
 最初は私が悪かった。遠距離、と言っても車を飛ばして一時間の距離、をわざわざ車をレンタルして遊びに来てくれた真由だったのに、真由が私の家に着いたとき私は布団の中だった。久しぶりのデートだと思って春物ワンピースを準備したところまでは良かった。ウキウキしすぎて神経が高ぶってしまって、弱いのに真由が置いて行ったお泊りのとき用のブランデーを一口また一口と飲んでいたら余計に眠れなくなってしまって、やたら汗を掻いてしまってポカリスウェットを飲んだのが悪かったのだ。スポーツ飲料を摂取すると、アルコールの作用を高めてしまう。おかげで真夜中にトイレとお友達。嘔吐と冷汗が止まらず、かといってアルコールが抜けるまでポカリスウェットは飲めないのでお水をがぶがぶのんで吐いての繰り返し。朝四時には収まったけれど、空腹を訴えてきてなかなか眠りに就けずにいた。うとうとし始めたのはカーテン越しに朝日が入ってくる時間帯だった。
 真由は映画館に来ない私を心配して携帯電話を何度も鳴らしてくれたのは後から知った。待ち合わせは十時で、その時間は私は目の下に隈を作って眠っているところだった。三十分が経っても私が来ないので真由は私のアパートのチャイムを鳴らしても返事がなかったので合鍵で入ってみると、死体のように眠った私が居た。
「芽依子」
 真由の優しい声だった。真由は私を優しく抱きしめてきた。さすがに熟睡している私を心配したのだろうか、実はこう見えて時間厳守・五分前行動を心がけている、私がアパートで寝こけているのも何かワケがあってか、と思ったのだろう。本当に真由は良く出来た彼女だと思う。しかし私は寝惚けていた。
「城たん、もう一曲、踊りましょ!」
 私はいまお熱の俳優の城田優君と夢の中で踊っていた。私は美しいドレスを着て、大きなお城の広間でまるで映画のヒロインよろしく城たんに抱きついて、起きた。そこには眉間に皺を寄せた真由がいた。真由は私に城たんが好きなのは知っていたし、今日選んだ映画も城たんの主演映画も芽依子が好きなら、と笑って快諾してくれた。しかし。しかしだ、私が約束をすっぽかして、夢のなかで城たんの夢を安穏と見ていたら、いくら出来の良い彼女でも怒る。私は起きた瞬間そのすべてを悟ったのだ。
「よく眠っていたのね」
 ごめん、と私が言って目覚まし時計を確かめると、午前十一時半。私は悪寒がまた背筋を這い上がるのを感じた。あーあ、やっちまった。こういうときってなにすればいいんだっけ。シャワー浴びたいけど、真由を待たせるようなことはしたくないし、とりあえず着替えて、ファンデじゃなくてBBクリームで化粧しよう。思考を回すこと三秒、真由は困ったように笑った。
「ゆっくり支度して。映画は二時の回にすればいいから」
 真由って本当に怒ることができない人間だと思う。だから私はいつも言い訳ができない。それは少し困った、贅沢な悩みだと思う。私は目覚めのコーヒーを真由の分も入れた。マグカップを真由に渡すとき私はまだパジャマの格好だったのにキスされそうになった。私は思わずそれを手で阻んでしまった。
「ごめん、まだ歯を磨いてないから」
 私がそう言うと、真由はほっぺたにキスをした。今のはまずい。恋人のキスを拒むなんてー! 私は脳内で悶絶した。私の馬鹿。でもキスはいつもおいしいものじゃないと嫌。真由とキスすると、いつもとろける蜂蜜みたいな味がする。それが昨晩の嘔吐味になったら最低でしょと自分に言い聞かせた。とにかく今は煩悩を捨て、とっとと身支度を済ませることが最優先だ。
 用意ができるのに一時間を要したわけだけど、私にしては、特にデートの日の私としては、よくこの短時間で準備できたと思う。デートの日は普通、二時間はかかる。髪もコテで巻くし、つけまつ毛もする。普段しないような化粧だから時間がかかっちゃって、デートの日の私は戦場に挑むような気持ちでメイクする。それが今日は手抜きメイクで済ませるのは少し気が引いた。髪はストレートのままでまつ毛は透明マスカラを塗ったくらいでナチュラル・メイクと言えば聞こえがいいけれど、ほぼ素顔に近い。真由はスラリと背が高くて、小顔で目鼻立ちが整っていてまるでモデルみたいだから、街を歩くとき少しは努力したい。いつもビデオ通話しているけれど、素敵な友だち同士だと思われることに私は腐心している。そんな準備ができなくて少し心残りを残しながら、私と真由はアパートを出た。
 後れ毛を気にしながら準備もそこそこに出てしまった私は昨日の自分を呪った。真由はさっきから無言だし、髪の毛はバサバサで初春の粘ついた風が私を乱す。真由は口数が多い方じゃないから、こういうとき私はごめんなさいが素直に言えない。いっそう怒鳴られたほうがマシだと思う。でもそんなことを決してしないのが、私の好きになった真由なのだ。自慢できないけど、自慢したい彼女。真由に心底、惚れているのにまだ、そのことをうまく言えない。もどかしい。カンカンとアパートの階段を降りて真由が乗ってきた軽自動車に乗った。
 そこからの顛末を簡単に話そう。でも私って物事を順序立てて話せないからあっちこっち行っちゃったら、ごめんなさい。
 映画館はデパートが併設されているシネマ・コンプレックスだったので軽くブランチを食べた。空腹でたまらなかったのでブランチの量じゃなかったけど、私はスパゲティとピザ一枚食べてしまった。空腹で倒れたら大変だものね、とついついデザートのイチゴのシャーベットを食べて、私の目の前では真由がエスプレッソを啜っていた。苦いのが苦手な私はエスプレッソじゃなくてもせめてカプチーノくらい飲んでおくのだった、と後悔した。だってお腹が満たされると眠くなるでしょう? そう、私はその後の映画館でぐっすり眠ってしまった。私がリクエストした城たんの映画だったのに、予告が終わって映画館が真っ暗になった瞬間、意識が落ちた。まったく私ってなんて単純なのだろう。もう泣きたい。それからあてもなく車を走らせている現在に至るってカンジ。

 真由とはくっついているだけで、真由の心とか考えとかが分かると思っていた。真由は無言で怒っているのか、はたまた呆れているのか分からない。音楽やラジオは運転の邪魔になるかなって思って私はシートベルトにギュッとしがみついて、あたふたしている。本で読んだことあるのだけれど、「女友だちふたりと旅行するのは難しい」って書いてあったことを思い出した。真由と私は友だちってわけじゃないけれど、とにかく旅行ではいつも二人きり。だからセックスでごまかすっていうのも出来ないし(私はこの感覚よく分からない。セックスって感情の高ぶりから起こるものじゃないかしら?)、話題がなくなっても一緒にいれるプラトニックな恋人みたいな関係じゃなくちゃいけないって書いてあって、それって他人事だと思っていた。まさしくいま足らないのは言葉だった。でもどこから何を話せばいいか分からない。私はブランデーがと言おうと思って口を開けた。しかし車から見える景色が変わると私はその口を閉じざるをえなかった。
「ここって」
 私の口から出てきたのは単純な言葉。
「やっと気づいた」
 真由はくちびるの端を器用に右側だけ上げて笑ってみせた。なんか憎らしい。こんなサプライズ私が泣かないわけない。良かった。今日は透明マスカラで。これでいくらでも泣ける。
 真由と私が出会ったのは派遣先の会社だった。真由と私は正社員と派遣社員という違いがあったけど、お昼に会社の近くの公園でご飯を食べるので良く一緒のベンチに座った。紅葉のきれいな時期だった。
「この木はソメイヨシノ?」
「そうそう」
 真由と私はふたりでいるときは敬語を使わなかった。
「きっと春になったら桜がきれいなんだろうなあ」
「きれいだよ。花吹雪が特にね」
 私はその時期まで会社に居られないことを知っていたから、だからこの桜が満開になるときのことを想像した。
「来年の春は一緒にお花見しよう」
「いいね」
 私はそのとき頷いたけどすっかり忘れていた。真由がどれだけ私のことを想っていてくれているか、骨身に染みた。

 私と真由が車から出て桜吹雪のなか歩くとふたりで見てきた景色が浮かんで涙が出てきた。私は意気地がない。だから嫌われたと思った。少しでも好きでいてほしくてそれでも懸命に努力はしているのだけれど空回りしているのも知っていた。だから素直にこの言葉が出てくる。
「ごめんなさい」
 そう言うと胸の支えが取れた。真由はピンク色の桜吹雪のなかで笑っている。私は真由の手を握った。
「ちゃんと話したい」
 真由の目が一瞬ひるんだけれど、事の顛末を話すと大声を出して笑われた。

「とりあえず、芽依子はお酒禁止ね」
 一通り笑われることに甘んじると真由はそう言って握っている手を深く繋ぎ直した。
「うん」
「あといくら城田君が好きだからって私と間違えないで」
「ごめんなさい」
「芽依子は気遣い屋さんなのにときどき変なベクトルで気を遣っているから、私の前ではそんなの気にしなくていいよ」
「はい」
「そう言うところだってば」
 真由は私に軽く肘鉄を食らわせた。幸せすぎて天国の階段を上っちゃいそうで、真由が隣にいてくれることに心の底から感謝した。
「来年も一緒に桜、見てくれる?」
「もちろん」
 私が尋ねると、間髪いれずに真由は答えた。真由は伝えている。いつも大事なことを。私は真由と向き合って見つめ合った。幸せとはまさしくこの瞬間でこれ以上の何もなかった。ただ真由が隣にいてくれる幸福を私は噛みしめた。

 二時間くらい桜のまわりをうろうろしていて帰りは私が運転することになった。ラジオのチャンネルを捻ると私の好きなナンバーが流れてきて向かうところ敵なし。だって私は真由を愛し、愛されているから。

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