Natural Girls

 私はベッドの上で「どちらにしようかな」と呟いていた。
 貴美子がいつも生協やコンビ二エンス・ストアで物を買うとき迷ったとき使う癖だ。私は貴美子の男がとなりで無遠慮ないびきをかいているその横で言葉を紡いだ。どちらにしようかな。最初に指さしたものが買うものに決まっている簡単なロジックだ。けれど貴美子はそれに気づいていない。それを知って私は案を思いついた。私は愚かだろうけれどそれを諌めることができるのは貴美子だけ。

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 恋をすると、この男は無防備になった。マスカラをぬり過ぎて固まってしまったまつ毛で上目使いはしない。デコラティブな爪先で甘えるように服の裾を引っ張ったりもしない。危ういミニスカートでもなくタイトなジーパンをはいてお酒を飲みながら親身に話を聞けば男とのベッドまでの道のりは近かった。この場合、隙を見せているのはこの男だがすべて終わってしまってしまえば私が誘ったということになるのだろう。メロドラマやソープオペラと同じくらい下らない性交だ。

 吸い差しのメンソールのタバコを差し出されると私はまずそうにそれを吸った。彼女は嫌煙家なのになぜこの男は今も吸っていられるのだろうか。不味いキスを誰がしたいと思うのだろうか。煙を吐きだしながらそんなことを考えていると眉間に皺が寄るので意味もない笑みをうかべるように心がけた。男も脂がさがった顔をした。
「本当に久しぶりだったんだ。最高!」
 あまりにあどけなく叫びだしたりするので、私は少し困惑した表情をした。
「貴美子に悪いと思わないの?」
 私の言葉に忘れていた存在を思い出したように男は苦虫を噛みつぶしたような顔をして首を垂れるので私は男の頭を抱きしめた。貴美子はこういう馬鹿な男が好きだったのか、と私は心のどこかで納得した。発情したこの男には見境がない。嬉しいからファック、寂しいからファック、不安だからファック。シーツがよれて小さな山ができているベッドに身体を埋められると男は瞳を潤ませて尋ねる。
「もう一回、いい? 貴美子は今日、僕の部屋には来ないよ」
 私は否定も肯定もせずに男のするがままに身を任せる。無防備にもほどがあるな、と私は思った。安いリネンのシーツでは私の髪が音をたてる。その小さな音は私の心をむず痒くなるようにくすぐる。もうこの音が私から離れてしまうと思うと急に愛おしくなった。私が抱かれているのはこの男の身体ではない。貴美子を愛した身体なのだ。
 組みつ、ほぐれつ、欲望に溺れながら身体にしがみつきむさぼっていると、玄関から音がする。鍵穴をいじる音で私は貴美子だと気づいたが男はまだ私の身体しか目にないようなので私が上になった。壊れてしまうなら最後まで楽しめ、それが最初に自分のなかで決めたことだった。貴美子の足音が聞こえると私は歓びと恐怖がない交ぜになった感情で震えあがった。貴美子が戸を開ける音がする。
「智志、急にタマゴ買って……きた」
 ビニール袋に入ったタマゴが落ちて割れる音がした。
「ははは」
 思わず笑い声が出た。
 私は男の身体から落とされるようになりながら、その音を聞いた。斜めになった視界で貴美子の顔を見た。ありえないと考えていることが目の前で起きていると人間は硬直するらしい。
「どういうことなの?」
 貴美子に問いかけられている男はすっかり動転しているようで滑稽だった。すべて私が仕組んだことだった。男がトイレに立った時メールで貴美子を呼び出した、それだけ。
「ベッドの上のこと聞きたいわけ?」
 下着を身に着けながら貴美子の質問に答えると、視線が憎悪で光っていた。そして瞬時に貴美子の手が私の顔を叩いた。
「佳乃子に聞いたわけじゃない」
「男を寝取られるとそんな反応するのね、貴美子でも」
 もう一度露わになった感情をぶつけるように平手が私に飛んできた。
「私はずっと知りたかったの」
「聞きたくない」
 貴美子は落としたタマゴを拾って台所のほうに行く。服を着終えると私は台所に行った。 「貴美子は欲しいものふたつでいつも迷うと『どちらにしようかな』って始めるでしょう。それってもう選んでることになってるの、知っているのかなって」
 貴美子は困惑している。
「それと智志と寝ることが何の関係があるのよ」
 声を荒げる貴美子をなだめるように私は説明する。
「私は自分で選んで、寝たの」
「智志のことが好きだったの?」
「いや、貴美子がなんで迷いもなく選べたのか、知りたかったから」
 私がそこまで話すと貴美子はうずくまって腹を抱えてうずくまった。表情は伺えない。
「ワケわかんない。あんたどっかおかしいよ」
 私は少しためらって答えた。
「うん、知っている」
 貴美子の嗚咽を聞きながら台所の窓から見える青白い空をぼんやりと眺めて貴美子の言葉を待った。絶縁の最後の言葉を。しかしそれは訪れず私はぼんやりと突っ立ったままだ。
 貴美子は何も言わず台所から去って男を問いただし始めた。私がここにいることが些末で詰まらないことに思えて靴を履いて外に出た。

 笑うと叩かれた頬が引き攣れて痛い。生協でアイスを迷う貴美子。レポートが終わらないのにファミリーレストランで益体もないことを喋りつづけた夜。男と付き合い始めた報告をしたときの笑顔。記憶の貴美子はいつも可愛いらしかった。私のほうがよほど貴美子のことを知っていたのに私は選ばれなかった。ぺたんこの靴を履かなくとも、髪の毛を巻かなくとも私は貴美子のありのままを愛せるのに。
 私はいつの間にか笑いながら泣いていた。

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