攻防戦

 夕食後のエスプレッソをゆっくりと味わっていると先輩は唐突に話題を振った。
「朝じゃなければいいんでしょう?」
 先輩、そんな極上の笑みを浮かべないでください。今の先輩は最高に小悪魔で、私は翻弄されています。
「夜、ベッドの上で正常位のセックスしかできないってわけじゃないんだからさ、別にいいじゃない。お風呂一緒に入るくらい」
 諸々言いたいことを忘れて私の顔はタコのように茹で上がった。困り果てながらただ不思議なことに頭の隅っこで私は「先輩のことが本当に好きなんだなあ」と思っていた。


 小食の先輩のために簡単なワン・ディッシュ・ディナー、鳥の胸肉の香草パン粉焼きにマッシュポテトとインゲンの炒めものに冷え症の先輩のためにレンコンのバルサミコ酢和え、を済ませたあと爆弾が降ってきた。私は持っていたお皿を落としそうになり、お皿のお値段を思い出して青白くなった。これは先輩との夕食のため奮発してデパートで買ったもの。迂闊に割っていいお皿ではないのだ。
「いや確かにそうなんですが、私にはハードル高いっていうか……」
 私がしどろもどろに答えると。
「好きなひとと一緒にお風呂入るの夢だったんだけどなあ」
 あからさまにしゅんと無い耳を垂れないでください。一緒にお風呂入るってメイクは? 髪の毛洗うのは? 想像しただけであられもない自分の姿が浮かぶ。先輩は私の困ってる姿を見て楽しんでいるのではあるまいか? と些細な疑問が湧いた。
「やっぱり明るいところって恥ずかしいな」
 もごもごと言葉を持て余していると先輩は声を上げて笑った。
「なに生娘みたいなこと言ってるの?」
 先輩とセックスするときはいつも初めてみたいな気持ちなんですよ、なんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。
「髪洗うときとか滑稽ですし、見られたくないなって」
「そう、ならいいわ」


 30分後先輩の「いいわ」の意味が「別にお風呂に一緒に入らなくてもいいわ」ではなく、「身体がみえなくてもいいわ」だと私は知った。
「これはなんですか? 先輩」
「泡風呂です。私の部屋ユニットバスでしょ? だから泡風呂出来ないし、これなら身体が見えないしいいかなって」
「……どうやってこんなの作ったんですか」
「私のボディソープで」
 それは確かに先輩のボディソープのムスクの匂いが漂っていた。甘い匂いにつられて先輩に合う匂いだなあと思って先輩の引越し祝いに私が送ったものであった。ボディソープの表記を見ると確かに『泡風呂にもできます』と書いてある。これってまさか私が自分で墓穴を掘ったもかも?
「さあ入ろう。お湯が冷めちゃう」
 さすが私の惚れた先輩です。あなたに完敗です。


 極楽、極楽と先輩は言いながら、いい湯だな、はははんと歌い始めた。このひとは、と私は少し呆れた。
「美樹ちゃん、そんな小さくなってたら温まるものも温まらないよ」
 私はバスタブに小さく収まっていたが、先輩は見えないのをいいことに足を浴槽の縁に引っかけてお風呂を満喫している。
 白い泡にまみれて先輩の足先の赤いペティギュアが缶詰のチェリーのように私の目に映った。甘いムスクの匂いに誘われて私は先輩の親指を口に含んだ。
「ひゃん」
 可愛いらしい声が上がると、足を素早く浴槽の中に沈めた。
「何、してるの?」
 先輩の真っ赤な顔に私は優越感を覚えた。これまでずっと先輩のペースに引きずられっぱなしだったしそろそろここで、と私は勢いづいた。
「何って先輩の足の指舐めたんです」
「汚いでしょ」
「綺麗にするためにお風呂に入ってるんです。いくら汚しても私が洗ってあげます」
「そういう問題じゃなくて……」
「どういう問題なんですか? 好きな人の裸を見たら欲情くらいします」
 今度は先輩が小さくなる番だった。可愛い可愛い私の先輩は言葉が喉につまってなかなか喋ることが出来ない。形勢逆転。私はくちびるの端を器用に曲げて笑ってみせた。
「先輩が誘ったんですよ? たっぷり気持ちの良いことしましょう」
 たぶん私の笑みは先輩にとって悪魔のようだったに違いない。

   Love is Liberal.
 (湯中たりすら、愛は惜しみなく与う)

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