仔犬の戯れ

 私の犬は甘えるのも甘やかすのも上手い。
 格好良く告白してみたり、手作りの弁当なんて作ってみちゃったり、耳元で甘い言葉をささやいて私を惑わせてみたり、可愛く甘えてみたり、すべて見透かしていますって顔して私に手を差し出す、気に食わないヤツ。
「だって大好きだから」
 心底嬉しそうな顔しながら言う。一番気に食わないのは私が恋に落ちたこと。恋に落ちるなんて事故だ。不可抗力のアクシデントなのだから来年は交通安全のお守りでも買おう。
 ソファに行儀悪く座り本をめくる。昨日まで一心不乱に問題集を解いていたのが嘘みたいに穏やかな大晦日で、テレビからは今年のクラッシク名演奏が惜しみなく流れている。積んでおいた本をめくると止まらなくなって0時までに読んでしまいたいと思っていたところに私の携帯電話が震える。名前を確認してガラステーブルに置き直す。あと二回携帯電話が震えたら出てあげよう。
 案の定、携帯電話は3回目の着信を告げたので私は出た。
「はい」
「着信無視しないでよ」
 間の抜けた犬の声の背後に雑路の忙しない音が聞こえる。
「苦情が目的なら切ります。忙しいので」
「ご所望のアイスクリーム、持って来たからセキュリティ開けて下さい」
 私が冷ややかに言うと、犬の素っ頓狂な声が上がって目的だけ告げる。犬の躾は大事だ。私が主人で主導権を握っていることをきっちり覚えさせること。
 玄関まで行ってセキュリティと玄関の鍵を解除する。クリスマスに犬がケーキを持って来たとき、「間に合っています」と言って追い返したことを思い出した。ひねりもない安易で典型的なクリスマスを私が送るなんて! しかもケーキは白い生クリームでコーティングされて真っ赤な苺が乗っているショートケーキときたものだから嫌らしい。犬がクリスマスにケーキを持ってきたことが許せなかったのではなく、どこかで知らないカップルが同じようなことをやっているのが許せなかった。そう犬に言ったら笑われた。
「今度来るときは好きなものを持って行くよ」
 犬のくすぐったくて柔らかい言葉で自分の言った意味を実感させられた。2回電話に出なかったのはそのときのささやかな復讐だ。

「やっぱり寒いねえ」
 玄関を開けると、学校指定とは違うグレイのダフッルコートにあざやかなオレンジの革手袋をはめた犬が肩をすくめている。これアイス。と私に袋を付きだす。私は家の中にを促す。犬は部屋を一通り眺めて私に尋ねる。
「お姉さんは?」
「友達と映画館でオールナイト」
「じゃあ、ふたりっきりってことか」
 姉の不在を知って脂の下がった犬の顔は見なかったことにしたい。犬がダイニングに入ると相変わらずさっぱりしているな、という声を聞きながら冷凍庫にアイスを仕舞いお茶を淹れる。
「変なことしたら、締め出すから」
 ほうじ茶をテーブルに置いて犬にくぎを刺す。犬はコートを置いて意味ありげにふーんとうなずく。
「変なことって?」
「私に触れるなってことです」
 自分のぶんのほうじ茶をひとくち飲む。熱くて舌がひりひりする。
「それは出来ない相談かもね」
 犬の細い指が私の髪を梳く。私はそれを諌めない。
「冬休みの間ずっと声しか聞いてなかったんだよ。忘れちゃってるから色々させて」
 犬は私の頬をぺろっと舐めて私を抱きしめる。ふわふわする。犬は大きくて柔らかい。私も腕を回し犬の肩甲骨を撫でる。私の好きな犬の身体の場所。丹念に触ると嬉しそうに上下する。肩甲骨をたどって犬の首筋の輪郭を探る。犬の手は私の腰から足のラインを行ったり来たりする。頭を少し離すと目線がぶつかって、目をつぶってまた引かれる。くちびるが重なると柔らかさを味わったあとに器用に動く舌を使って犬を味わう。食事のときより舌が自由奔放に動き、犬の歯や舌をもてあそぶ。犬の唾液が私のそれと絡みついてはちみつのような不思議な味がする。私の身体も犬の身体もこんなふうに一緒に溶けて混ざることが出来たらいいのに。
 犬の口の中をさんざん貪って口を離す。
「思い出しましたか?」
 小さなくちづけを犬の顔に降らす。
「ええ、そりゃもう」
 目線を外さないで犬を見つめると、犬は恥ずかしそうに目を伏せている。まつげが長いと思って私は犬のそれを指で弾く。
「じゃあアイスクリーム食べましょう」
 犬の身体から私は離れる。犬の手は空を掻き、再び素っ頓狂な声が上がる。
「当初の目的はアイスクリームです。寒い中アイスを食べるのは嫌ですし、私を忘れるのも不愉快ですから、暖をとるのと一石二鳥でしょう。暖かい空間でアイスクリームを食すのは冬の贅沢ですから」
 冷凍庫からアイスクリームを取り出しガラスの器に盛る。ダイニングから情けない声が聞こえる。やけに素直だと思ったけど、思ったけど、とため息まで聞こえてくる。盛り付けが終わると調味料置き場からオリーヴ・オイルを取り出す。
「どうぞ」
 犬のぶんをテーブルに置くと私はアイスにオリーヴ・オイルをなみなみとかける。
「……相変わらず変な食べ方するのね」
 犬は呆れたようにスプーンを持て余している。
「失敬な言い方ですね。ここのバニラアイスクリームはハーブが練られていて、高価なヴァージン・オイルと混ぜると絶品なんです」
 人を悪食呼ばわりしないで下さい、と言うと私はとろけたアイスクリームを味わう。色々なところが甘く痺れる。犬は普通に食べているがこれは値段分の価値があるわ、などと言う。
「今日はありがとうございます」
 アイスクリームを舌で溶かして飲み込むと、私は素直に言えた。
「ここのアイスクリームは普通のスーパー・マーケットで売っていません。寒いなか買って持ってきて頂いて、嬉しいです。」
 高価で甘いアイスクリームは私の声帯を溶かして麻痺させるらしい。顔が熱くなってアイスクリームを口に運ぶ。
「そっちのひと口ちょうだい」
 ひと匙、アイスクリームを運ぼうとするが、犬にくちびるを舐められる。
「確かに美味しい」
 犬の顔に悪戯っ子の笑顔が浮かぶ。
「12時過ぎたら、お参り行こうね」
 特上の笑顔に私はいつも目まいを覚えるのだ。
「……交通安全のお守りも買ってください」
 これが通常運転なら私はおかしくなってしまうだろう。

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