煙のように消える

蜂蜜と檸檬

 師走の商店街は浮かれている。これからクリスマス、お正月が来るのだから、かき入れどきなのはわかるけれど。慎ましく独り暮らしをしている私は、カレーの食材を買って、福引券を握らされた。二等の、食材を入れてスイッチを入れればシチューやカレーや煮込み料理が簡単にできる、鍋が当たって欲しいなと思いつつ、箱を回した。
 当たってしまった。うるさく鐘が鳴らされる。お嬢ちゃん一等だよ、と商店街のおじさんは私の肩を叩いた。私は二等の鍋が欲しかった。

「せんせい、こんにちは」
「おー、里中。どしたの?」
「せんせいは温泉好きですか?」
「好きだよ。あー打たせ湯を浴びたいなあ。このところPCでの作業が多くって」
「じゃあ、行きましょう。福引が当たったんです」
「マジか……。なんでそうクジ運がいいんだよ、里中は」
「日頃の真面目な行いを神さまが見ているんです」
「どの口が言っているんだか」
 せんせいはポケットから、加熱式煙草を取り出して、口をつけた。
「いいよ。せっかく推薦も決まったことだし、里中のお祝いしてやるよ」
「ありがとうございます」
「でもエロいことはしないからな」
「その気にさせてあげます」
 せんせいは笑っていた。

「車酔いするなら、最初からそう言いなさい」
「大丈夫だと思ったんです」
「ちょっと休憩するよ」
 せんせいは高速を降りて、いわゆるラブホテルの中に車を止めた。
「立てる?」
「歩けます。立てます。大丈夫です」
 そう言ったはいいものの、三半規管がぐるぐるとしていて、立った瞬間にその場にしゃがみこんだ。
 せんせいは私の肩を抱き、なんとか私も足を動かした。動くと胃がこみ上げてきて、私は嘔吐した。
「いいよ。全部ゲロっちゃえ」
「すみません」
 えずきながら、私は意識を失った。

 ずいぶん大きなベッドのなかに私は気づくといた。浴室からか、水の音がする。
「ああ、起きたのね」
「せんせい、ごめんなさい」
「いいよ。仕事柄慣れているし。それより気分はどう?」
「かなりマシになりました。というかせんせい何か着てください」
「さっきまで死にそうな顔していたやつが、一丁前に欲情してんじゃないよ」
「死と性はいつも隣にあるものでしょう」
 確かになあと、言いながらせんせいはバスタオルを肩にかけたままの恰好で、煙草に火をつけた。
「死も欲も煙のように消えちゃうもんだよな」
 煙を吐き出しながら、せんせいは薄い笑みを浮かべている。
「せんせいは何も聞かないんですね」
 きっと気づいている。私の交通事故の影響で、車が苦手なことを、せんせいは気づいている。
「暴いて欲しいなら、いくらでもするよ。でも一方的な加虐は趣味じゃないんでね」
 私が黙っていると、せんせいはバスタオルを投げてきた。
「風呂。栓抜いてないから入って来な。女の子がゲロまみれじゃ、温泉宿の女将さんも戸惑うだろ」
「はい」
「ひとの気持ちも、煙のように消える」
 せんせいの声が聞こえないフリをして、私はバスルームに向かった。

「よくお越しになりました」
「到着の時間が遅くなって申し訳ありません」
 いえいえ、こちらにご芳名をお願い致します、と女将さんは言って、せんせいは綺麗な字で名前を書いた。
「ありがとうございます」
「夕食前にひと風呂浴びてきてもいいですか?」
「いまご案内します」
 荷物を置いて、さっそく私とせんせいは温泉に入った。

 温泉に入り、夕食を食べ、また温泉に入ると寝る時間になった。
「せんせい、ごめんなさい」
「なに言っているの? 打たせ湯も最高だったよ」
「トラウマ克服温泉付き旅行みたいになっちゃって」
「里中のそのネーミングセンス好きよ」
「茶化さないで」
 私はせんせいの布団に馬乗りした。
「里中、あんたが本当にしたいことはセックスじゃないでしょ」
「どういう意味ですか?」
「自分でもどうしようもない感情を、持て余して、自分を傷つけることもできなくて。私に欲情しているフリして吐き出そうとしている」
「黙れよ」
「泣きたかったら泣いてもいいんだよ、里中はまだ子どもなんだから」
「うるさい」
 せんせいのくちびるを自分のそれで重ねて、黙らせようとするけれど、せんせいは笑っている。
「キスっていうのはこうするんだ」
 せんせいのくちづけは悔しいけど上手で、私はとろけるかと思った。
「せんせいが好きなのは、嘘じゃないです」
「大丈夫、そこまで里中が器用だと思っていないよ」
「今日は寝ます。せんせい」
「なに?」
「ありがとう」

 帰りの車中で、私は気分が悪くなることはなかった。けれど黙ったまま外の景色を見ていた。せんせいと楽しい旅行になるはずだったのに。大きな影が私の前に横たわり、身動きが取れない。カーステレオのラジオからはずいぶん昔のJ・POPが流れている。

   夢見てるから儚くて
   探すから見つからなくて
   欲しがるから手に入んなくて
   途方に暮れる
   どこで間違ったかなんて
   考えてる暇もなくて
   でも答えがなきゃ不安で

 私はあと三ヶ月で卒業する。煙のように消えるのは、せんせいじゃない。きっと私だ。


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