CLUB NAKED

#7

 カズミと会った翌日の木曜日、エイコは自室でクッションを抱えながらアマネに電話した。わざわざカズミをエイコの地元まで来させてくれたお礼を言うためだ。
「本当にありがとうね」
「私がしゃしゃり出るよりエイコのほうが適任だと思っただけよ」
 アマネの声のトーンは少し暗い。
「どうしたの? ヒカリとなんかあったみたいだけど」
「別に」
 アマネもヒカリもなぜ、その一言で済ますか、エイコには分からなかった。エイコは未だにアマネとヒカリの距離を測りきれずにいる。回線を通して、二人の間に沈黙が佇むとアマネは言葉を付け足す。
「本当にたいしたことじゃないのよ。なんて言うのかな、猫のじゃれあいが過ぎて喧嘩になっちゃう、そんな感じよ」
 アマネは冷静にそう言いつつも内心では落ち着いていなかった。ヒカリと喧嘩をしたのはこれが初めてだった。ヒカリの、まるで突き放すような、言動の真意は分かっていた。どうせ四人が仲良くすることを疎ましく感じたのだろう。ヒカリは人との距離の取り方が下手なのだ。アマネはそのことが分かっているから、どうしようもできないことに苛立つ。ヒカリは過剰に近づきすぎる者を嫌う。そのなかに自分がいたことがアマネにはショックだった。
「ふーん」
 エイコにはよく分からなかったので、なんとなく相槌を打った。
「私とヒカリはよく似ているのよ」
「なんか意味深な発言。全然、違うと思うけど」
 内心、エイコはヒカリとの関係がばれているのでは、と勘ぐった。しかしアマネはこともなげに話題を変えた。
「そのままの意味よ。それより明日、来るんでしょうね?」
「行きますよ、アマネ様」
「うむ、苦しゅうない。じゃあ明日ネイキッドで。おやすみ」
「おやすみ」
 アマネは電話を切るとため息を漏らした。それでも、それでも喧嘩することはなかった。言葉足らずのヒカリに腹を立てることもあったが、喧嘩は初めてだった。アマネは自分のことをどうこう言われるのは平気だったし、そんなことを跳ねのけられる強い自分が好きだ。けれどもカズミへのあの突き放し方はひどいと思った。ヒカリの言うことにも一理あった。確かに人の恋路に関してあれこれ言うのは、野暮だ。しかし、成り行きならまだ分かるが、ヒカリの言った選択という言葉がアマネには釈然としない。いったい恋愛にどれだけの選択ができるのか、アマネには実感を伴って否定できた。恋に落ちる相手も選べないで、なにが選択だ。アマネは舌打ちをした。ヒカリと四年、付き合っていても未だこんな関係かと嘆かずにはいられなかった。ヒカリは四人のうち一番に長くネイキッドに通っている。ヒカリと出会って四年、カズミとナナとは三年、エイコとは一年だが、アマネはエイコといちばん打ち解けている。アマネは「自分とヒカリは似ている」とエイコに言った言葉を思い出した。アマネとヒカリが似ているのは好意を持つ人に対して距離を取るのが上手ではないということ。かたや近づきすぎてしまい、かたや突き放しすぎてしまう。アマネは自分の不器用さに、これもヒカリと似ているが、大いに落胆せざるをえなかった。

 エイコはクラブ・ネイキッドの前でたじろいでいた。証明書を出すエントランスにはがたいの良い男がガードマンのように立っていたからだ。受付のお姉さんが手の甲に出入り管理のスタンプを押す前に、失礼しますとバッグの中身を調べ始めた。動揺しているエイコを横目にお姉さんは慣れた様子で、ドリンクと危険物がないか調べているだけなので、と付け加えた。危険物とは、とエイコは思ったが、エントランスで荷物を調べられるのは慣れているので必要以上に口を訊かなかった。クラブ・ネイキッドも厳しくなっていのだなとエイコは思った。
 午後九時ジャスト。一階のラウンジにはアマネが居た。アマネの呼ぶ声でエイコは隣に座った。
「カシスオレンジお願いします」
 バーテンダーにお酒をオーダーするとエイコは困った顔をしてみせた。
「入口に大男がいるなんて聞いてない」
 アマネはグラスを傾け、氷の涼しい音を立てた。
「最近、ネイキッドで刃傷沙汰があったらしいよ」
「マジ?」
「本当。あ、カズミだ。やっほー」
「アマネ、エントランスのあの男なに?」
 カズミも同じ疑問を持ったらしく、三人はお酒をお供にアマネの説明を聞く。
「ある女の子がいて、年上の女性と付き合っていたんだけれど、間男じゃなくて間女が女の子をかっさらっちゃって年上の女性がダンスフロアで間女をぶすっと。まあ軽傷だったらしいけど」
 アマネの口調は軽かったが、エイコは背筋が凍る思いをした。ネイキッドでは軽いいざこざは何度か見てきたが、ダンスフロアにいるスタッフが臨機応変に対応している。そんななかでもこのような事件が起こるのだ。
「怖い」
「通りでネイキッドに人が少ないわけね。でも普通、浮気した女の子が標的になるんじゃないの?」
 エイコは身を縮ませて、カズミは冷静に分析していた。
「女は浮気した男より、相手の女に嫉妬するって誰かが言ってたような……。えーっと名前が出てこない。怪談で有名な、日本に帰化した……」
「小泉八雲?」
 カズミがアマネに助け舟を出した。
「そう! 小泉八雲」
「それ、言ったの、小泉八雲の奥さんだよ。『破られし約束』っていう怪談があってね」
「もう怖い話はいいよう」
 エイコは少し泣きそうになっている。
「昔、若いお侍さんの奥さんがいて、身体が弱くてすぐ亡くなっちゃうんだけど、死の床でお侍さんに『私は嫉妬深いから、二度と結婚しないでください』って言って亡くなっちゃて、お侍さんは小さな鈴と一緒に葬られるの。時が経って、お侍さんは若くて美しい女性と結婚しちゃうの。それから一週間したら新妻に鈴の音が聞こえてきたの。ちりーん、ちりーんって。新妻は不思議に思って声を出そうとしたけれど、全くでなくて。で、結局、新妻は先妻に殺されちゃうの」
「私、怪談苦手なのに……」
「ここからが本題。小泉八雲は『前妻が復讐する相手は約束を破った侍だ。殺された新妻は全くの無実じゃないか』って言うんだけど」
「そうそう、そのくだり」
 アマネは楽しそうにお酒を飲みながらうなずいた。
「『男ならそう考えますが、しかし、女の考え方ではありません』って奥さんが言うんだよね」
「この奥さんの発言が一番、怖いよね。でも私は奥さんの気持ち分かるな。でも、どっちかっていうとカズミは男寄りの考え方なんじゃない?」
「うーん、そうかも。でも奥さんの言いたいことも分からなくはない、かな」
 アマネとカズミは『破られし約束』で盛り上がっている。エイコはふたりの話を聞きながら、背筋が凍る思いをした。今日、エイコはカズミにヒカリとのことをすべて話そうと思っていたからだ。エイコは眉間に皺を寄せてお酒を飲むしかなかった。
「エイコ、ごめんね。怖い思いさせちゃって」
 カズミがエイコの頭をぽんぽんと叩いた。
「夢に出てきそう」
「大丈夫だよ」
 力強くカズミはエイコをあやすので、エイコは余計に所在なさげになるしかなかった。
「刃傷沙汰になりそうな人が来たわ。ヒカリー、こっちこっち」
 アマネは、前回のネイキッドのことなど、何事もなかったかのように振舞った。そしてヒカリもすずしい顔をしている。ヒカリは大人しくアマネの隣に座り、バーテンダーにお酒を頼み、それ以外は無言で、タバコをふかすだけだった。
「そう言えば、エイコはバイト、どうなの?」
 エイコの隣に座っていたカズミが声をかけた。
「これがけっこう重労働なんだよ。なんだかんだで重いもの運ぶし、立ち仕事だし。でも環境はいいかな。バイトの先輩たちは女性ばっかで、優しいし」
 この前、エイコの地元にカズミが来たとき、そんな話すらできなかったなあとエイコはあのときの切迫感を思い出していた。カズミは淡い笑みを浮かべているが、今の心中をエイコは読めない。
「立ち仕事していると、ときどき踊りだしたくなるよね」
 アマネが話に割って入ってくる。
「分かる。しかもBGMがノリノリだとヤバいね」
 エイコもアマネに同意した。
「せっかくネイキッドに来たんだから、下に行ってくる。カズミも来ない?」
 グラスが空になったのでエイコは席を立とうとした。
「これすぐ飲み終わるから、ちょっと待って」
 エイコはアマネではなく、カズミをダンスフロアに誘った。こうやってお膳立てしないとアマネとヒカリはきっと仲直りしないのではないか、とエイコは思ったからだ。隣に座っているアマネからは怒気をエイコは感じとらざるをえなかった。ヒカリがネイキッドに着いてから、普通に振舞っているつもりでも、エイコはアマネから鋭い殺気のようなものを感じた。
 後からついて来るカズミにエイコは前回のネイキッドのことを話した。ヒカリにベッドに誘われたことは伏せたが。
「そんなことがあったんだ。普段は仲が良いのにね。でも大丈夫だと思うよ」
 カズミはいつものほほ笑みを絶やさず言った。
「そうだといいね」
 エイコはカズミにつられ、少し罪悪感を覚えながら笑った。

 ラウンジではアマネとヒカリが黙々とお酒を飲んでいた。エイコもたいがい余計なことをしてくれた、とアマネは思った。これがエイコなりの、カズミをエイコの地元に送った、好意のお返しなのだろうか、と。
「私は謝らないからね」
「分かっている」
 ヒカリが間髪入れずに返事をした。アマネは気が立ってタバコに火をつけた。なんでこんな頑固者を好きになってしまったのだろうか、とアマネは思ったが、好きになるのに理由はない。恋はただ落ちるだけだ。
「ヒカリはネイキッドの刃傷沙汰は知ってる?」
 当たり障りのない話題をアマネは持ち出した。
「知ってる。現場にいたし」
 アマネは思わず、え、という声が漏れた。
「動脈をそれた腕にちょっと刺さっただけだから血はそんなに出てなかったよ。刺した女性はぶるぶる震えてたけれど」
 アマネは煙を吐き出しながらため息をついた。
「あんたその後、女の子をお持ち帰りしたんじゃないでしょうね」
「まさか。刺された女性の止血の応急処置をしたんだよ。一応、看護師だからね」
 血と刃渡りが短いナイフを見て、女の子たちはネイキッドから蜘蛛の子のように散っていったよ、とヒカリが言った。
「ヒカリも、間違っても、誰かに刺されたりしないでよ、これは忠告」
 短くなったタバコを灰皿に押し付けながらアマネは言った。
「何者としての、忠告?」
 友達としての、とアマネは言おうとした。が、ヒカリの澄んでいる目を見つめるとその言葉は飲み込まれた。ヒカリの瞳は黒い沼のようにアマネを引き込む。ヒカリが珍しくアマネに本音をぶつけてきて、アマネは困った顔をした。そし本音を言おうとした瞬間だった。
 スツールが揺れて、カウンターにあるグラスがガチャガチャと鳴り、割れる音が響いた。地震だ。ラウンジでは椅子からテーブルの下へ避難するお客の姿が見える。カウンターの中にいるバーテンダーたちも動揺して、これ、結構、大きくない? ヤバいよ、などと言いながら、吊ってあるワイングラスの破片から身を守っている。アマネはすぐバーカウンターの下に隠れた。ヒカリは一瞬、遅れてカウンターの下になだれ込んで、アマネを押し倒すかたちになった。
「ははは」
 アマネはいきなり笑った。強い揺れはまだ続いている。アマネ本人も声に出すつもりはなかったという笑い声が、叫び声とグラスの割れる音の間を縫うようにヒカリの耳に入った。
「なに笑ってんのよ」
 ヒカリは怒気を込めて言った。
「もし、このまま圧死しても、本望だなって思って」
 ヒカリはグラスの破片で額を切っていたので、アマネの服に血がぽたりと垂れた。アマネは笑顔でまるで蜂蜜を啜るようにそれを舐めた。
「せめて最期の一服くらいさせて欲しい」
 ヒカリは呆れたように返した。

 強い揺れが来る前、ダンスフロアには人はまだ疎らだった。エイコとカズミはちょうどミラーボールが眩く光る下でご機嫌に踊っていた。曲の変わり目に地震は訪れた。地下のダンスフロアのほうが酷く揺れ、エイコとカズミはすぐ立っていられなくなった。エイコたちは地を這うように壁の方へ動いた。そしてそれを庇うようにカズミが覆い被さった。
「私は大丈夫」
 エイコが大声をあげると、カズミもそれに応える。
「エイコに何かあったらヒカリに申し訳が立たない」
 激しく上下に動く縦揺れのなかでエイコは混乱していた。なぜこの状況でヒカリが出てくるのか、まさかと思ってカズミの顔を見た。カズミはエイコを守りながら、すべて知っているという顔をしていた。
「ヒカリは関係ない。私はカズミが好きなの!」
 エイコは揺れのなかで叫ばずにはいられなかった。カズミは動揺して思わずエイコの身体から引いた。二人の視線がぶつかると、カズミはあからさまに困った顔をしていた。
「だって木曜日にネイキッドに来たら……」
 カズミは言葉を濁した。なんて場違いな会話だろうとエイコは思った。揺れは収まりつつあり、ダンスフロアにいた人びとは、我先にと出口に殺到した。そのなかで二人は棒のように立っていた。エイコの顔は真っ青だった。カズミは全て察している。全て分かられてしまった。木曜日のエイコとヒカリが指すあの熱い抱擁は恋人同士のものだと誤解していた。
「ごめん」
 エイコはカズミに謝った。しかし何に対して謝ったのかエイコ自身、分かっていなかった。ヒカリと寝たことか、それともカズミを好きになったことか、その両方か。エイコは心許なくカズミの前からゆっくりと歩きだした。
「エイコ、待って」
 カズミの声がエイコには聞こえていたが、それを無視してエイコは出口に走った。恥ずかしい、と心の底からエイコは思った。あの情動の結果がこんなことになるなんて、エイコは羞恥心を覚えずにはいられなかった。エイコはすべて打ち明ける勇気など最初からなかったことに気がつかされた。なんてことをしてしまったのだ、と悔いることすら、できなかった。

 一階のラウンジは惨状を呈していた。人は居ず、割れたグラスが散乱し、スツールが倒れていた。ヒカリはバーテンダーと一緒に建物からの避難誘導と怪我人の手当てをしていた。ネイキッドは時間が早かったせいか、それほど人には被害はなかった。テキパキとしたヒカリの対応にアマネは最初、感心していたが、バーテンダーのひとりの指先がヒカリに触れる瞬間のセンシュアルな動きを見逃さなかった。ああ、このバーテンダーとも寝た仲なのか、とアマネは思い、そんなことを思ってしまう自身にアマネは舌打ちした。
 ネイキッドの前に怪我人の列ができた間からエイコが出てきた。
「エイコ!」
 アマネはエイコに声をかけたがエイコはそれが聞こえているはずなのに、無視をした。
「エイコってば」
 小走りにアマネはエイコの元へ走り寄った。エイコは見るからに憔悴した様子で、怯えたようにアマネを見た。アマネは安心させようとエイコの手を握った。
「アマネは大丈夫だった?」
 エイコの一声は震えていて、アマネを心配するものだった。
「私は大丈夫。ヒカリはちょっと額を切ったけど……。それよりエイコ、大丈夫?」
 エイコはヒカリという言葉に過剰に反応した。ここから早く去らなければ、と。
「帰る」
「なに言ってるの、エイコ。この地震じゃ電車もきっと止まっているだろうし」
「手を離して!」
 エイコは思わず大きな声を上げ、その声の大きさにエイコ自身びっくりした。アマネは瞬間的にエイコの手を離した。そしてカズミがエイコの近くにいないことを察した。
「分かったわ。カズミと何かあったのね?」
 びくっとエイコは肩を揺らした。
「ごめん、ひとりにして」
「でも、何かあったらすぐ連絡して」
 エイコは逃げるようにネイキッドから離れた。


   ……to be continued.


BGM;Seatbelts FLYING TEAPOT
夜遊びのあとの夜明けが好きです。


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