CLUB NAKED

#5

 ネイキッドは小さな金魚鉢なんだよ、と初めて会ったときカズミはエイコに言った。朝までこの小さな金魚鉢にいると金魚たちは死んでしまう。みんな分かっているんだ。楽しい一晩を過ごしたらちゃんと世界に出て行かなければいけない。
 エイコはずいぶん詩的な表現をするものだと思ったけれども、一方でそんなことを言うカズミの涼しげだが寂しそうな目元に心が揺れ動いた。もっとカズミのことが知りたい。そしてエイコは恋に落ちることがこんなに簡単なことだと、初めて知った。

 エイコのテスト明けの金曜日の夜、エイコ、アマネ、ヒカリ、カズミの四人はクラブ・ネイキッドに集まった。
「それでは、エイコの無事、単位取得と我々のボーナスに乾杯!」
 アマネが乾杯の音頭をとって四人はグラスをかかげ、それぞれの音を立ててグラスを合わせた。
「まだテストが終わっただけで、単位が取れているか分からないよ」
 エイコはジン・トニックを飲むアマネに言う。
「あら、だってエイコは今まで単位を落としたことないじゃない」
 今日は無礼講よ、飲んで踊ってネイキッドをじゅうぶん楽しみましょう、とアマネはご機嫌だ。
「エイコなら大丈夫だよ」
 カズミも笑いながらカンパリ・ソーダを飲んでいる。
 クラブ・ネイキッドがいちばん盛り上がるのは金曜日の日付けが変わった一時過ぎ。ラウンジには席に座れない人たちで溢れ、ダンスフロアはひとの波をかいくぐらないと踊れない。それに金曜日はダンスフロアにポール・ダンサーが現れる。美しい肢体で女の子たちを魅了し、おひねりを渡すひともいる。
「ちょっと疲れているみたいだね」
 ヒカリが黙々とビールを飲んでいるのを気にかけて、カズミは話しかけた。
「最近、夜勤が続いていたからかな」
 ヒカリはそれきり口を開かずグラスを傾けている。
「これ飲んだらテキーラ・ショットしようよ」
「ショットなんてやったら私、踊れなくなるよ」
 言い出したアマネを制止しようとしたエイコだが、少しのアルコールのおかげで四人はとても和やかに過ごしているように見えた。
 エイコははしゃいでいた。それと同時に冷静な自分もいることを自覚していた。四人でネイキッドにいるときは変な緊張をせずに、楽しい。しかしエイコはヒカリの存在が際立って見えるのだった。ヒカリはわざわざエイコと寝ているなどと言わないだろう。しかしエイコは四人でいるときのヒカリへの距離の取り方と、二人でいるときの距離の取り方の違いを意識せずにはいられなかった。本当は無理してテキーラ・ショットも飲めるエイコだが、意識を保てなくなってヒカリに甘えてしまったらと考えると、背筋がぞっとする。ふと、エイコはなぜヒカリの手を取ってしまったのだろうかと考えるときがある。カズミにはアプローチをさらりとかわされていた。カズミはエイコのことが嫌いなわけではない。だがいつもスマートにエイコの想いを避けるのだ。エイコはそれを返答だと思った。友だちのままでありたい。エイコは友情を恋に変えることが出来ずに苛立っていた。そんな時だった。あの木曜日に初めてヒカリとエイコは寝た。ヒカリは必要以上に喋らず、聞きもせず、エイコも声をあげるのはベッドのなかで特別にあげる声くらいだった。あのときエイコはひりひりと痛む傷を優しく労わるヒカリが必要だったし、ヒカリもまた人肌を求めていた。そしてエイコは抱き合えば抱き合うほどずれる想いに身を焦がしていた。そして今も心と身体はずれたままだ。
 ヒカリ以外のコップが三人のコップが空になるとアマネはバーテンダーに追加のお酒を頼もうとカウンターに身を乗り出したところだった。
「ナナ?」
 カズミの口からエイコの知らない人物を呼ぶ声が聞こえた。
「え、ナナが来ているの?」
 驚いたようにアマネが振り返った。アマネの視線を辿ると髪を肩で切りそろえた清潔感があり愛らしい、それでいてどこか妖艶さを感じる人物が四人に向かって歩き始めた。
 カズミの前でナナが止まるとカズミの手をとり愛おしそうに握りしめた。
「久しぶり」
「本当に久しぶりだね」
 カズミとナナは目を合わせあって挨拶をかわすと、柔らかいハグをしあった。
「なんか私のこと忘れていない?」
「アマネも久しぶり」
「あの男が嫌になってネイキッドに来たの?」
 アマネの言葉でカズミの肩が竦んだのをエイコは見逃さなかった。ナナは持っていたウィスキーのダブルを一気にあおった。本人は酔った風でもなく、いたって平然とアマネの言葉を意に反さないように答えた。
「もうとっくに別れて、今は三人目よ。ちょうど近くを通ったから一杯やっていこうと思って。ヒカリも久しぶり。ここのウィスキー薄くなってない? 全然酔えないんだけど」
 ナナはヒカリに手を振った。ヒカリはいつも通り面倒くさそうに右手を挙げた。
「ナナがここでお酒を飲んじゃいけないって決まりはないからね」
 アマネはそう言うとエイコのワンピースを引っ張ってダンスフロアの行こうとエイコを地下へと誘った。
 ダンスフロアのバーでアマネはテキーラ・ショットを二つ頼んだ。アマネはいかにも飲まないとやってられないという風情だった。バーテンダーから受け取ると、アマネもエイコも一気にそれをあおった。
「あのひと誰?」
「カズミの元恋人」
 エイコが聞くとアマネから予想していた簡潔な答えが返ってきた。エイコには見えていた。ナナの耳には小さな星のピアスがカズミとハグをしたときにちょうどエイコの目に入ったのだ。カズミもよく同じピアスをしているからエイコはナナとカズミの距離が友人のそれ以上のものだと自覚させられた。
「なんで今になって現れたりするのかな、ナナのやつ。とにかくエイコはあまり近づかない方がいいよ」
「なんで?」
「とにかく人を食い物にするのが好きなやつだから。カズミも散々、泣かされたんだから」
 エイコは肝が冷えた。カズミの、エイコの好意の及び腰はあのひとが元凶なのかもしれない、と思いまた自分はヒカリと寝ているということを思い出し、芯の底から身体が冷えた。
「大丈夫? 顔色が真っ青だけど」
「大丈夫。テキーラで酔ったみたい」
 エイコはソファに座って音楽を聴くふりをした。
「ナナはカズミの一番、柔らかいところを傷つけた。ちょっと抗議に行ってくる」
「うん。頑張って」
 エイコはただ、そう言うしかなかった。

 一階のラウンジでは三人が、主にカズミとナナが、親しげに喋っていた。アマネの感情は怒気に染まっていた。しかしナナという人物は不思議なもので、人徳とはアマネは認めたくないが、ひとを和やかな気分にさせるのが上手かった。それにあのカズミが声を上げて笑っているのをアマネは見るとすっかり毒を抜かれてしまった。たとえカズミの心をブルーにした張本人であっても。アマネは決して怒ることのできない人間がいるのだと、改めて思った。
「カズミ、今フロアにエイコひとりだから行ってきてあげて」
「うん。じゃあね、ナナ」
「バイバイ」
 カズミが地下に降りていくのを確認してアマネはスツールに座った。
「カズミとあの子、お似合いじゃない。でもまだあの子の片想いみたいだけど」
 あの子とはエイコのことだ、とアマネは気づいた。そして相変わらずのナナの洞察力に完敗しなければならなかった。
「昔、私たちにしたように、キューピッドになってあげればいいのに」
「それで失敗しているから、口は出さないの」
 アマネはようやく反論ができたが、ナナは涼しい顔でカクテルを舐めている。
「カズミの未練もまんざらでもないみたいね。ヨリを戻そうかな」
「何を言ってるのよ」
 アマネの冷めた怒気が再び燃え上がろうとしていた。
「冗談よ」
 ナナはあでやかに笑って見せたがアマネは肩透かしを食らったようだった。
「笑えないジョークだわ」

 ダンスフロアはまだまだ人が少ない。大抵の人は壁の花になっている。お酒とカズミの元恋人のナナが現れてエイコは悪酔いをしていたので、ソファに身体を埋めていた。
「エイコ、大丈夫?」
「うん。ちょっとテキーラが効いちゃって……。大丈夫だよ」
 カズミこそ大丈夫? という言葉はエイコの喉に引っかかって出てこなかった。ただ心配そうな表情を浮かべることしかできなかった。
「ナナのこと聞いたんだね。私は大丈夫だよ。昔のことだし」
 苦笑したカズミをエイコは痛々しく感じた。
「それよりさ、踊ろうよ。フロア貸切状態だよ、だから」
 カズミの少し震える手をエイコは取らずにいられなかった。
「ヒカリは変わらず朴訥としているのね」
「喋るのが億劫な人なのよ」
 アマネとナナが話している少し外れでヒカリは淡々とお酒を飲んでいた。
「相変わらずなの?」
「相変わらずって何よ?」
「ヒカリはフロアで踊った子とワンナイトスタンドを楽しんでいるかってこと」
「そうね、変わってないわ」
 アマネは頭が痛かった。きっとアマネのヒカリへの恋心も知ってこんな質問をしているのだろうと、純粋さとはなんと厄介なものか、とアマネは思った。
「アマネも大変ね、こんな人に惚れてしまうなんて」
「惚れているわけじゃないわ。ヒカリは友だち」
 アマネは動揺しなかった。動揺する元気すら残ってなかったと言うのが正しいだろう。
「そろそろ帰るわ」
 ナナはスツールから立ち上がってバッグを肩にかけた。
「その言葉をずっと待ってたわ」
 アマネはあからさまにほっとした顔をした。
「そのリアクション、傷つくな。アマネ動揺しないんだもん。つまんない。でも会えて良かった」
「それは私もよ」
 社交辞令でもそう言っておかなければアマネはおさまりが悪いと思った。しかし何のおさまり? とアマネは自問した。今日の集まりはナナのおかげで散々なものになったというのに。
「ヒカリー! あんまりいたいけな子を誘惑しちゃダメよ」
 ヒカリはナナに会ったときと同じように手だけ振った。アマネはナナが外に出るのを見届けて一言こぼす。
「嵐は去ったわ」

 ダンスフロアにも少しずつ人が入り始め、踊る人たちが増えてきた。エイコは大音量で流れるスピーカーの近くで踊りながら、音楽を体感していた。震える空気に晒されながら、エイコはぼんやりとした頭でナナという人物について考えていた。悪意を振りかざすような人間には見えなかった。どこか幼さを残す、あどけない瞳には少年のような純粋さを残しているように見えた。カズミはああいう人が好みだったのだ、とどこかで得心がいった。エイコは自分がナナと喋ったらどうなっていたのだろうと好奇心が湧いた。が、ナナは明らかに招かれざる客であったので、そんな好奇心はカズミに対して不謹慎だと思った。あのアマネがあそこまで警戒するということは、ナナはカズミの心も身体も玩具にして、ボロボロになった頃に捨てたのだろうか。しかしエイコはナナをせめられなかった。自分だって友だちと寝たりするくせに。エイコはこんなに近くで一緒にカズミと踊っているのに、カズミの存在が少しずつ離れていくのを感じざるをえなかった。
 金曜日のネイキッドはダンスフロアで好意を持つ人へ薔薇の造花を渡す、アタック・タイムを設けている。日付けが変わる前とネイキッドが閉まる前に二度、アタック・タイムがあるのでダンスを中断されエイコとカズミはそんなお膳立てされた時間を楽しめるはずもなく、一階のラウンジへ戻った。エイコとカズミは口数少なく、ラウンジにいるアマネとヒカリたちの元へ戻った。カズミはナナがいないことにあからさまにホッとしているようだった。
「水でもぶっかけてやれば良かったわ」
 アマネはエイコたちが席に着くと開口一番、そう言った。カズミはその言葉にうっすらと笑ってこう言う。
「今さらそんなこと意味ないよ」
 ナナにあたれなかった分、アマネは苛立っていた。
「意味ないわけないじゃん。カズミはナナと別れてからどうなった? 一か月で五キロ痩せて、ナナの話ができるようになったのは三か月だったのよ。それに……」
「もう終わったことだからいいのよ」
 カズミはアマネの言葉を遮った。カズミは無理に笑おうとしていたが、顔面蒼白だった。
「ごめん。今日はもうネイキッド楽しめそうにないから、帰るわ」
 まだ日付けは変わっていない。カズミは荷物をまとめはじめた。エイコはただおろおろするだけで何も喋れないし、何もできない。アマネはため息をついた。カズミはガス抜きができただろうか、と思った。カズミは負の感情を出すのが下手だ。こうやって煽ってヒール役を買って出ないとカズミは何をするかわかったものじゃない、とアマネは思った。
「エイコ、行ってカズミを連れ戻してきて」
 叶うものなら。アマネは祈るような気持ちで言った。カズミは頑なに拒むだろう。しかし自分が行くより、エイコが行った方が効果的であるとアマネは思った。
「うん」
 エイコは少し揺れ動いたが、それが友だちとして正しい行為だと思ってネイキッドを出た。

「まったく世話が焼ける」
 アマネはたばこをくわえて、ヒカリのほうを見た。
「なら、最初から口出ししなければいい」
 ヒカリは静かにウィスキー・グラスを傾けた。
「カズミがあんな状態になって心配しないの?」
「誰でも一人になりたい時はあるさ」
 アマネは苛立ちが積もる一方だった。平然とお酒を飲んでいるヒカリの感覚が理解できなかった。
「アレはカズミの選択だ。私たちが何を言ってもそれは余計なお世話でしかない」
「あんたの神経を疑うよ」
 アマネはヒカリの使う「私たち」という言葉にほとほと呆れかえっていた。私たちだって? 自分が良ければ他人なんてどうでもいいと思っているくせにとアマネは堪忍袋の緒が切れそうになっていた。
「最初から分かって欲しいなんて思ってない」
 ヒカリの口から初めて、アマネへの拒絶が露わになった。アマネはその言葉に深く傷つき、心臓が痛んだ。それと同時に怒りで顔が火照るのを感じた。出会って四年。そんな言葉を聞くためにつるんできたわけじゃない、と叫びたかった。アマネの怒りは爆発し、帰り支度を始めた。アマネはヒカリの肩を叩いた。
「ヒカリの言いたいことはじゅうぶん分かった。下着を汚すしか能のない、このあばずれ」
 アマネはそう言い捨ててネイキッドを出た。ヒカリは何事もなかったようにたばこに火を着けた。

 新宿二丁目に入るあたりでエイコはカズミを見つけた。
「カズミ」
 エイコが声をかけてもカズミは歩く速度を変えなかった。エイコは走ってカズミの横にたどり着くと、カズミは泣きながら歩いていた。
「ごめん、ひとりにして」
 エイコは無意識に歩みを止めていた。エイコにとってカズミはいいお姉さんであったから、カズミのあんな表情を見るのは初めてだった。
「いつでも連絡して。待っているから」
 エイコはカズミの後ろ姿に向かって叫んだ。簡単に壊れる仲のはずがない、とエイコは自分に言い聞かせた。金曜日の二丁目のメインストリートは人ごみですぐにカズミの姿はエイコの視界から消えた。

 エイコがネイキッドに戻るとアマネの姿はなく、ヒカリが悠然とたばこをふかしていた。
「アマネは?」
「別に」
 ヒカリは無表情のまま答えた。エイコはアマネが心配になって携帯電話を取り出した。
「私がいる限りアマネはネイキッドには戻って来ないよ」
「ナナさんに怒っていたんじゃないの?」
 エイコは不思議そうにヒカリを覗き込んだ。ヒカリは至って平静だった。
「うるさい薬缶とヒステリーを起こした女は放っておくのが一番だ」
 エイコは携帯電話をぎゅっと握りしめてヒカリに反論した。
「でも、それに付き合うのが友だちじゃない?」
「そんなことより部屋に来ない?」
 ヒカリは起伏なく言った。この時ほどヒカリに抱かれたことを恥と考えたことはエイコにはなかった。エイコは真っ赤なりんごのような頬をしてヒカリの左頬を打ち据え、そのままネイキッドを後にした。
 ヒカリはやれやれと冷えたグラスをエイコに叩かれた部分に押し当てた。
「冷たいおしぼりです」
 カウンターから差し出されるおしぼりを受け取り、そういえばこのバーテンダーと一回だけ寝たことがある、とヒカリは思い出していた。
「ありがとう」
「差し出がましいのは承知で聞きますが、なぜそんなに人を挑発されるのですか?」
 バーテンダーの質問にヒカリはその日初めて、人間らしい表情、苦笑いをした。
「そろそろ潮時だと思っていたから」
 仲良し四人組に、とヒカリは言った。人間関係は薄氷の上を歩くようなものだとヒカリは思う。今日のナナのことは良いトリガーになった。エイコとはそろそろ清算したかったし、アマネもこれで易々と近づいてこないだろうとヒカリは思った。矛盾は人を弱くするものだとヒカリは信じていた。良い解決ができたと思った。しかし砂を噛むような感覚がするのはなぜだろう。ヒカリはそんな感覚を忘れるためにお酒をあおった。


   ……to be continued.
BGM; futuristic imagination school food punishment
夜の疾走感がある音楽が好きです。目が回るほどはやく、はやく。


Page Top
inserted by FC2 system