CLUB NAKED

#3

 カズミは月末の伝票整理に追われていた。多忙だと余計なことを考えずに済むとどこかで安心していた。ただ仕事に没入していればいい。少しの空白がカズミの思考を動かしてしまう。カズミはそれを、ほんの少しだけ、恐れていた。
「ヤマモトさん、これ送ってくれる? 郵便局までよろしく」
「はい、分かりました」
 カズミは気が進まなかったが、何しろ外は暑いし、どうしてもエイコのことを考えてしまうから、断りたかったが仕事なので笑顔で引き受けた。

 会社から出ると夏特有の熱気がカズミの身体を包んだ。
「眩しい」
 まだ高い西日が差していた。カズミは眩しそうに目を細め、バッグの中からアイポッドを取り出した。会社の制服のままでクラブミュージックを聴くのは少しへんね、と思いカズミは微笑んだ。その笑みがカズミの心を少しだけ軽くした。耳から聴こえるナンバーはお気に入りの曲で足取りも軽やかになる。
 エイコが私のことを好きだ、ということは一緒にネイキッドで踊っていてよく分かっているとカズミは思った。カズミとエイコはネイキッドのダンスフロアで一度だけキスしたことがある。会ったばかりのときの話だ。ダンスフロアは熱狂の渦でお互い興奮して、というのが表向きの理由だけれども、あのときのエイコの目は潤んでいた。そんな欲情の眼差しが向けられると、いくら鈍感なカズミでも分かってしまう。困惑してしまう。でも少し嬉しい。心はいつも忙しく、カズミは落ち着かなかった。エイコのむず痒く、まだ稚拙な愛情にカズミは翻弄されている。カズミがエイコに友情を表せば、エイコはそれに応える。カズミはそれに安心しきっているのかもしれないと思った。エイコはなるべく恋愛感情をおおっぴらにはしない。でも表面から滲み出る愛情にカズミは目を背けることができないのだ。そんなことを考えているときふと、ショーウィンドウに映った自分の姿をカズミは見る。疲れた顔をしているな、と思う。それと同時にエイコの愛情に答えては駄目だと思う。カズミはまだ準備が出来ていない。恋に落ちる準備が。エイコに臆病だと罵られても構わない。ただ今は怖いのだとカズミは感じる。紐なしバンジージャンプに挑む気は更々ない。どうエイコをかわしていくか、カズミにとってはそれが今の問題だった。

 郵便局から戻り、カズコの今日の仕事もあらかた終わるとアマネからメールが入った。今カズミの会社の近くに居るのだけれど一緒に夕食をとらないか、というメールだった。アマネはマメだなあとカズミは思いながら、いいよと短く返信を打った。

 待ち合わせ場所に現れたアマネは、いつものふんわりとした洋服ではなく、珍しくスーツを着ている。
「今日は新規のデザイナーと打ち合わせだったから」
 とアマネは言った。アマネはベビー・フェイスに不釣り合いな雑貨店の敏腕なバイヤーでもあるのだ。多忙を縫ってアマネはネイキッドの仲間と会っている。
「月末だから忙しかったでしょ?」
「まあね。でも大方、終わったから」
 カズミとアマネは足早に歩を進める。近くに美味しいイタリアンがあるから、とアマネはカズミに勧める。
「お腹が空いていたからアマネのメール、助かったわ」
「カズミを誘って良かった」
 アマネは柔らかく笑う。そしてここよ、とレストランのドアを開けた。

 カズミとアマネは食事中は当たり障りのない会話をした。お互いの仕事の話や音楽の話。バイヤーの仕事はカズミにとって刺激的だった。カズミは事務職なので、目まぐるしく人と会うことはない。カズミはいつも右手の薬指に細いシルバーリングを着けている。ヒカリと一緒にアマネの店で買ったもので、カズミとヒカリのお気に入りだった。
「今度のデザイナーはカズミも気に入りそうよ」
「楽しみだなあ。ヒカリと一緒に見に行くよ」
「エイコとじゃなくて?」
 デザートが届くとアマネはカズミに向かってその日、初めてエイコの名前を口にした。
「どちらかと言うとヒカリとのほうが趣味は合うのよ」
 カズミは出されたマンゴープリンを口にする。
「あー、もうじれったい!」
 アマネは少し声を荒げて言う。
「カズミはエイコがカズミにぞっこんなのは知っているくせに。そんなに邪険にすることはないじゃない」
 デキャンタに少し残っていたサングリアをアマネはグラスに注ぎ、一気に飲み干した。
「邪険にしてはいないよ。ただ今はエイコとは友だちでいたい」
 カズミは「今」という言葉を強調した。今がどれだけ続くか分からない。けれどこの瞬間はやはりエイコはカズミにとって友だちなのだ。
 アマネは小さなため息をつくと、これから嫌なこと聞くけどいい? とカズミに言った。
「ナナことが忘れられない?」
「……ナナは関係ないよ」
 ナナという響きにカズミは一瞬の動揺を隠せなかったが、カズミはエイコとの関係にナナは本当に関係なかった。カズミはそう思いたかった。
「今は誰とも付き合いたくないの」
 カズミはきっぱりと言った。そしてその話はもうおしまい、と言った。アマネは少し不服そうな顔をしたが、そうね、と短く言った。
 食事が済むと二人はレストランを出た。そして取り留めのない会話をしながら駅でカズミとアマネは別れ、それぞれの帰路に着いた。


 アマネは家に帰ると玄関にバッグを放り投げた。
「姉ちゃん、行儀が悪い」
 居間でTVゲームをしているアマネの弟、コウイチが目をひそめた。
「お黙り! 居候のくせして頭が高いのよ。それにちゃんと大学に行ってるの?」
「単位落とさない程度にはねー」
 母さんが泣くわよ、あんまり口うるさいことは言いたくないけれど、とアマネは言った。
「俺に八つ当たりするってことは、何か嫌なことあったんだ」
「そんなんじゃないわよ。コウイチ、お水、出しといて。着替えてくる」
「へいへい」
 アマネは窮屈なスーツを早く脱ぎたかった。今日の商談はうまくいったけれど、どうしてもカズミの言葉がアマネは気になった。今は誰とも付き合いたくないの、というカズミの言葉にアマネはどうしてもナナの気配を感じるのだ。ナナ、その存在を思い出すとアマネはため息が出る。カズミにナナを勧めたのはアマネだった。私の最大の汚点だわ、とアマネは思った。商売柄、人を見る目はあると思ったのに、と歯ぎしりをしたくなる。こういう日はさっさと眠ってしまったほうがいいのかもしれない。
「姉ちゃん、水を出しといたよ」
「ありがとう」
 ドア越しにコウイチの声が聞こえてアマネは部屋着に袖を通した。

「コウイチ、夕食ちゃんと食べた?」
 アマネはダイニング・テーブルに座り、氷が多めに入っているグラスを傾けた。
「もち。トマトシチュー・ミートボール入り作ったから、朝に食べて」
「コウイチが居て助かる部分もあると言うか……」
 小声でアマネは言った。
「なんか言った?」
「ううん、出来の良い弟がいてよかったなあと思っただけ」
「でしょでしょ。姉ちゃんがレズでも母さんや父さんには自主的に内緒にしている俺ってえらい」
「調子に乗らないの」
 確かにコウイチがアマネの性的指向を知ったとき驚いたりはしたが、どこかで納得していた。アマネが思春期の真っ盛りのときに男の名前ひとつ上がらなかったのだから。理解ある弟が間近にいてくれて助かるところはアマネには多々ある。
「そう言えば、姉ちゃんには今、恋人いるの?」
「なによ、唐突に」
「いつも金曜日は朝帰りだからちょっと気になって」
「クラブだっていつも言ってるじゃん」
「俺……彼女できたんだ」
「あらそう。おめでとう。でも私のいるときに呼ばないでね」
 アマネは少し突き放した調子でコウイチに言った。甘い祝福の言葉はこの姉弟には不要だった。
「分かってるって。姉ちゃんも早くいい人を見つけなよ」
「余計なお世話よ。さっさと寝なさい」
 はーいと間延びしたコウイチは自室へと戻った。アマネはため息をついた。私の好きな人は「いい人」ではない。アマネはグラスに水を足した。なぜヒカリに惹かれているのだろうか? とアマネは自問した。答えは明確でヒカリだからだ、としか言えない。女を性的玩具くらいにしか捉えていない、最低なヤツだが、嫌いになれない。むしろ好意は暴走する一方で自分でもわけが分からなかった。最低なヤツだけれども、ヒカリの行為には何か裏がありそうな気がする、とアマネは考えている。四人でいるときは絶対に他の女を口説かないし、逆恨みされるようなことは、ない。一夜だけを望む女を嗅ぎ分けて寝ているのだ。器用なことだ、とアマネは思った。少しの優越感がアマネにないわけではない。いつも一緒につるむ仲間と一夜限りの女とを無意識に比べてしまう。
「浅ましいな」
 思わず言葉がアマネの口から出た。感情や欲望の熱量は比べることができないのに。もし、ヒカリに、一夜でいい、一緒に過ごそうと言ったらどうなるだろうかとアマネは仮定した。ヒカリは目をしかめ、それでも断ることはないだろうと思った。後腐れのない情事などどこが楽しいのだろうか? それだったら今のままがいい。アマネは仮定の話を否定した。今の生ぬるい現実。カズミやエイコに恋心を知られながらも、何もできない自分にアマネは少し苛立つ。考えても仕方がない。人間関係は所詮なるようにしかならないのだ。アマネは自室に戻って暗い部屋で思う。痛む心は恋をすれば当たり前なのだ。それを引き連れてどこに行こうか、アマネは思索を巡らす。せめてヒカリに腕を広げられ、抱きしめられる夢が見られればいい。今はそれで十分だとアマネは思う。そして私の手には一度しか切れないジョーカーがある。それを切ったときのことでも考えながら眠りにつこうと思った。
「忘れるところだった」
 アマネはタオルケットをはいで、携帯電話でメールを打ち始めた。今日は水曜日。金曜日にはまた四人が揃ってネイキッドに繰り出す。その念押しするのがアマネの役割だった。夜中も過ぎたがメールならいいだろうと三人に送る。朝には返信が来ているだろうとアマネはいよいよ眠る体勢に入った。少しでも甘い夢が見られますように、とアマネは睡魔に祈った。


   ……to be continued.


BGM; One More Time Daft Punk
カズミとアマネのターン。ナナはこれから出てきます。


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